映画 - センチュリオン(原題:Centurion)

センチュリオン [DVD]
センチュリオン [DVD]
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東宝 (2011-01-28)
売り上げランキング: 75,928


出演: マイケル・ファスベンダー, ドミニク・ウェスト, オルガ・キュリレンコ
監督: ニール・マーシャル
97分

勢いに任せて書きなぐったので、だいぶ長くなった。
もう疲れたのでそのままアップ。

あまりに長くなったので追記へ格納した。

2015/02/10:読みやすく段落などを修正。一部表現を修正。さらに追記も加え、ますます長くなった。


■気になる考証の浅さ

 考証の浅さが目立つ作品。あくまでファンタジー物であり、歴史物だとか、史実に沿ってなどと考えてはいけない映画。

 物語の舞台は西暦117年、ブリテン島北部の平定を命じられたローマの第9軍団ヒスパナ。遠征中の彼らが現地に住むピクト人に襲われ、主人公の百人隊長クイントゥス・ディアスをはじめとする生き残った数人で逃走するというストーリー。題名の「センチュリオン」とは、百人隊長の意味。

 史実においての第9軍団ヒスパナは、65年まではブリタンニアのヨークを本拠としたのち、121年にゲルマニア・インフェリオル(低地ゲルマニア)に短期間の駐在をしたのが最後の記録だ。つまり、よくわかっていないらしい。その第9軍団の最期を描こうとしたのがこの映画。

 当時の時代背景としては、こちらのブログでわかりやすく解説してある。
映画『 第九軍団のワシ & センチュリオン 』についての考察( 1 ) : 何となく趣味で世界史の話をしてみるブログ


 以下はネタバレあり。とはいえ謎解きなどがあるわけでもないので、その点は気にする必要はないかもしれない。

 衣装がきれい過ぎる。この時代の遠征中の軍隊なら、相当な汚さとなるはずではないだろうか。まあ、この程度なら映画的演出と受けとれなくもない。


■弓矢がまっすぐ飛んでいく

 弓矢がまっすぐ、一直線に飛んで行く。それ自体はおかしなことではない。しかし、この映画の中ではおかしいと感じる部分もある。

弓道の矢の軌道は以下がわかりやすい。
弓矢の軌道 小笠原流弓馬術(スロー)その壱 - YouTube

ここで弓道場の距離などを見てみよう。
引用すると、以下のとおり。

『近的場 - 射位(射手)から的までの距離が28m』
『遠的場 - 一般的には射位から的までの距離が60m』
弓道場


 弓道で使う和弓は長弓で、サイズは約221cmある。これだけ長大な弓であっても、100m足らずの距離をまっすぐ射るのがせいぜいだ(戦闘の際は斜めに射角をつけるのでもっと射程が伸びる)。

 センチュリオンで使われているような射程と威力を出すためには、コンポジット・ボウなどと呼ばれる複合弓/合成弓が必要であると思われる。だが、映画内の弓を見る限り何の変哲もないシンプルな構造の単弓である。
 これを使う民族のピクト人は、映画では馬を使う狩猟民族として描かれており、馬上で扱うには取り回しのよい短弓は納得できる。しかし、これらの有効射程もせいぜい100m足らずだ。
 短弓で射程と威力を出すためには、丈夫で強靭な材料を使って「トルコ弓」のように複雑に湾曲させる必要がある。

湾曲した屈曲型短弓の図例
tankyuu-01.jpg

tankyuu-02.jpg

センチュリオンの単弓の図例
tankyuu-03.png

 この複雑な屈曲により反発力が増して威力が出る。だが、センチュリオンの弓はシンプルな形状の単弓なので、この弓で射程と威力を出すためには相当な弓の強さと射手の腕力がいると考えられる。

 弓道というものは、「たった30m足らずの場所に静止している36cmの的に当てる」ということが競技として成立するほどの難しさである。
 それを、160cmほどのサイズの単弓で、筋力の少ない女の射手が、数百メートル離れたところを馬で逃げる相手に向かってまっすぐ延髄を撃ち抜いている…。さすが無理がある(しかも空気抵抗の増す火矢を使っている)。そんな打ち方で命中させるのは神技レベルの腕前と言える。射程を考えると頭上から降る形でなら考えられなくもない…のかもしれないが。

 後のシーンになるが、森の中でぼーっと座り込んでいる兵士達に、この「神技の射手」が弓で狙う場面があるのだが、見事に外すのである。平坦な森の中で、馬上からとはいえ止まって狙い定めていて、相手はこちらに気づかず座り込んでいるのだ。それでなぜ外すのか…。超絶技巧なら超絶技巧でいいからきっちり設定を詰めてほしい。
 また、弓の有効射程の100m以内の距離まで馬に乗って近づいてくる敵に気づかない第9軍団達も相当うかつだし、馬に乗ったまま忍び寄るピクト人もありえない描写。かなりの物音がするはずだ。
 矢の勢いなどから見ると、このシーンでは50m以内から狙わないと無理である(後述する解説引用参照)。まさに追われている最中で、気を張っている複数の兵士達が自分達の50mの距離まで近づいてくる馬に気づかないなんてありえるだろうか?

 余談になるが、単純に射程の長い弓ということなら「トルコ弓」というものがあり、実戦用の矢を用いて400mほど、距離を稼ぐための軽い矢(つまりは競技用で、相手を殺傷せしめるほどの威力はない)を使えば最大で600mもの距離を飛ばせたと言われる。しかしこれは言うまでもなく射角をつけて射程を重視して射たのであり、銃弾のようにまっすぐ飛ぶわけではない。

 弓矢については、弓道を嗜んでおられるという、以下のsammi-2837氏の解説がおもしろい。
sammi-2837氏によると、戦闘時の有効射程は以下のようになるとのこと。相当短いことがわかる。

~2,30m だいたい急所を狙える
~40m だいたい人を狙える
~7,80m だいたい騎馬を狙える
くらいだと思います。
威力ですが、フライパンぐらいなら結構簡単に射抜けますし、
かつて明珍の鉄兜を串刺しに射抜いた人もいます。

世界の弓の威力について 【OKWave】



■あまりにも弱すぎる第9軍団ヒスパナ

 行軍中の第9軍団は、山中でピクト人の待ち伏せに合う。霧に隠れた斜面という絶好の狙撃ポイントで、ピクト人達はなぜか白兵戦を挑んでくる。
 そこは弓を射掛けるだろうというシーンだ。神技の射手もいるのに、彼女も斧を片手に突っ込んでいく。弓矢を使えば兵力を減らすリスクを負わずに済むというのに、である。ちょっと考え難い場面だ。そして、白兵戦のさなかに弓を使うのである。
 白兵戦が始まったあとに飛び道具使うのはリスクが高い。同士討ちの可能性も高いし、矢や弾を込める間に襲われる危険もあるから近接武器に持ち替えるのが普通である。
 しかし同士討ちはしないのである。それだけの腕前があったらなぜ白兵戦の前に…(以下略)。案の定無駄に兵士を殺されるピクト人達。血の気が多すぎるのだろうか。

銃・病原菌・鉄 - Amazon
 ところで、ジャレド・ダイアモンドによる銃・病原菌・鉄という書籍がある。「繁栄した文明と繁栄しなかった文明の違いは何なのか」ということをわかりやすく説明した名著。その3大要素のひとつが「鉄」とされている。
 ある文明同士の戦争が起こるとする。すると、「布の服に棍棒」で装備した原住民と「鉄の鎧に鉄の武器」で装備した兵士ならば、圧倒的に後者が強いという理屈だ。前者は後者に致命傷は負わせられないが、その逆は簡単に致命傷となる。その差は体格や戦闘技術で埋め合わせられるような生易しいものではなく、あまりに圧倒的な差となる。

 1532年、スペインのカルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を受けたフランシスコ・ピサロは、たった168人の軍勢でインカ皇帝アタワルパが支配する8万人ものインカ帝国を征服している。
 ピサロがアタワルパを捕らえたとき、インカの軍勢は4万人ほどいたとされるが、ピサロ軍はそのうちの7千人ほどを殺し、それ以上の数のインカ兵士が腕や足を切り落とされるなどの重症を負ったといわれている。スペイン軍一人あたりで、実に80人以上ものインカ人を殺傷した計算になる。それに引き換え、ピサロ率いるスペイン軍の死者はゼロであった。
 これほどの差があるのだ。

 また、この戦闘シーンの近い時代に起きた西暦60年、または61年頃のワトリング街道の戦いにおいても、装備による戦力の差は推し量ることができる。
 この戦いにおいてローマ軍約1万人は、約23万人ものブリタンニア所属同盟軍に襲われる。しかし、ローマ軍はその差をものともせず400人程度の犠牲で勝利をおさめ、対してブリタンニア側は死者8万人もの被害を出して敗北した。
 勝敗の要因は、指揮系統の差も指摘されるが、装備の差も大きかったとされている。
 タキトゥスの年代記には、これらの様子が生々しく描かれている。
年代記〈上〉(岩波文庫) - Amazon


 センチュリオンのピクト人待ち伏せの場面は、それに近い両者が戦っている(少なくとも映画内での描かれ方としては)。
 ピクト人は鉄の武器を持っていたとはいえ、布の服だった。対する第9軍団は鉄の兜に鉄の鎧に鉄の盾と文字通り鉄壁の防御。防御面で圧倒的な差が生まれるはずだったが…。

 ここで簡単に両者の装備をあげる。
ピクト人
  • 片手斧(投擲にも使われた)
  • 片手盾(小さめの丸型。パリィ(盾で叩くようにする攻撃型防御)ができるように腕を通すタイプ)
  • 片手剣(ショートソード)
  • 弓矢(数少なめ。数名)
  • 両手斧(片手斧を両手で使っているだけかもしれない)

第9軍団
  • 鉄の剣(鎧を着ているわけでもない相手に、集団戦では禁じられる突き刺しを多用。禁じられる理由は抜くまでの隙にやられるから)
  • 鉄の槍(なぜかまったく使われず)
  • 鉄の盾(警察隊が使うような大型。タワーシールドの一種と思われる)
  • 鉄の兜
  • 鉄の鎧
  • 馬(騎兵数名)

 数十倍の差があっても圧倒できるだけの装備を持ちながら、何故かボコボコにされる第9軍団ヒスパナ。戦闘開始時にピクト人は火計をしかけるのだが、第9軍団は防御態勢を維持したまま避けもしない。火計の直撃を受け、そのまま白兵戦へとなだれ込み敗北する。
 おまけに将軍もさらわれてしまうとは、弱すぎるにも程があるのではないか。

 上記の例からもわかる通り、装備の差は戦力の差に直結する。ちょっとやそっとでは覆すことはできないはずだが。

 記録においては、第9軍団ヒスパナがピクト人からかなりの反撃を食ったという出来事はあったらしい。これだけの差をどうやって覆したのか、という部分には大いに興味をそそられるだけに、もっと説得力のある描写をして欲しかった。「脳みそ筋肉の蛮族が一斉にわー!→大勝利!」ではさすがに納得できない。


■走り続ける第9軍団ヒスパナ

 生き残った第9軍団ヒスパナ達がとにかく走る。特に追われている場面でもない、ただの行軍の場面でも走る。山岳地帯であろうと荒れ地であろうと走り続ける。

 残ったたった7人で将軍奪還を命令する百人隊長。まっとうな神経を持った兵士達は当然反対するが、百人隊長は聞く耳を持たない。馬鹿な指揮官を持つと苦労するという例である。
 少なめに見積もっても数百人、多ければ4桁はいたであろう軍勢で生き残ったのは7人、というのは、これはもう壊滅したといえる。何より先に本拠地に向かい、戦況を知らせるのが兵士の勤めとなるはずだ。
 本拠地への使者を出すわけでもなく、生き残った数人で無謀な奪還作戦を敢行するという百人隊長。奪還作戦は、将軍が鎖に繋がれていることすら予想できていなかった百人隊長のせいで失敗に終わる。ちょっと考えればわかりそうなものだし、そこに思い至れば切断する道具も調達できたはずだ。
 あまりの作戦のずさんさに呆れ返った将軍は、せめてもの兵士の行く末を考え「皆を祖国へ」と最後の命令を下すのであった。

 逃走中も走り続ける第9軍団ヒスパナ。いつ襲われるかわからない逃走中であることから、急な戦闘に備えて体力は温存しなければならないのだが…。

 山岳行軍経験者の貴重な弁として、以下を引用する。
 15kmの距離を装備を背負って山の頂上まで登り、Uターンして駐屯地まで歩いて帰るという訓練。昔の人との体力の差などはあるだろうが、山岳行軍の困難さは伝わってくると思う。

出発し始めは、みんな余裕をかまして意気揚々と軽くお喋りしながら歩いていきます。

が、段々口数が減っていき、演習場近くにくると喋っているのは誰もいません。
演習場に着くまでは、舗装路なので歩きやすく良かったんですが、演習場はデコボコ道で足が取られて体力をかなり消耗します。
そして、前半折り返し地点の最後の山場として山があります。(そのままやんけ)
その山が今でも強烈に印象に残っているのですが、ほんと最悪でした。

折からの雨により、山道は泥水が斜面を下ってきてる状態、少しでも油断したら足を滑らせて、後ろの隊員めがけて体ごと落ちていき、それが連鎖反応でドミノ倒しに・・・・・なりかねない状況でした。

しかも、山を登るという動作は体力を急激に奪っていきます。 しかし、ずらーっと隊員が一列に狭い山道を登っていくので、途中で止まることも許されません。
まるで、止まることの許されない機械のごとく、必死に目の前の一段一段を、歯を食いしばって登っていくのみでした。
いかに体力を消耗せずに、動きを行うかに全神経を集中していましたね。

15キロ行軍訓練 | 進学先は自衛隊


 「走る」「駆け足」などとはひと言も書いていない。『いかに体力を消耗せずに、動きを行うか』との記述から、走るなどということはもってのほかだということが察せられる。

 この映画では、雪山の高地で空気も薄く、舗装もされておらず、岩や石ころ、小枝や倒木がゴロゴロしている山岳地帯や森の中の荒れ地を、兵士たちは戦闘装備を持ったままひたすら走る、走る、走る。
上の例を見る限り、相当難しいだろうと思われる。

 さらに、目的地までどの程度の距離、月日がかかるかわからないのに走るというのは無茶が過ぎる。目的は生き延びてローマ軍と合流することであるから、医者や医療設備が期待できない状況においては何より怪我を避けるべきだ。それでも走る兵士たち。案の定ひとりがこけて骨折。ギャグかと思うほど馬鹿馬鹿しくゆかいな場面だ。

 兵士達は、追ってくる相手が狩猟民族だということは理解している。つまり、動物などの逃げるかすかな痕跡も見逃さないということがわかっているはずである。それなのに、重量級の鉄剣を持ったままドタバタと走り回れば足跡は残るし草木は踏み分けられて痕跡が残るしで間違いなく追跡されるであろうことは考えるまでもない…のだが、彼らは考えていないのである。追跡者は追跡者で、それらを見事に見逃してくれている。なんだこれ。

 装備についても、重くて邪魔になる剣は大事に抱えているのに、軽くて狩猟にも待ち伏せにも先制攻撃にも使える弓矢は誰一人持ち合わせていない。このときのローマ第9軍団には配備されていなかったとしても、序盤の戦闘後に相手から鹵獲(敵から装備を奪い取ること)できたはず。
 よりよい装備が鹵獲できれば次々と持ち替えるというのは、戦闘地帯では当たり前に行われることだ。だが、彼らはそれをしないのである。


■食料を無駄にする兵士達と百人隊長の無能さ

 食料調達のため、カモシカのような動物を獲るが、血を飲んで胃の内容物をすすっただけで、肉のほとんどを置いていくという。これはモッタイナイ!
 これだけ困窮した逃走中なら、生肉も平気で食べられるほどの飢餓感があるはずだ。
 海で漂流して食料が尽きた話では、船にとまった渡り鳥を手づかみで捕らえ、生のまま丸かじりするというエピソードがある。漂流した人によると、そういうときの肉はたとえようもなく甘くてうまかったとのことだ。
1年以上漂流のエルサルバドル人漁師、「海には戻らない」 | 世界のこぼれ話 | Reuters
たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い (新潮文庫) - レビュー - Amazon

 また、「アンデスの聖餐 - Amazon」の例を出すまでもなく、究極の場合には人肉ですら食料となる場合もある。それに比べれば動物なんて生でどんどん食べそうなものだ。
 残った肉も貴重な動物性蛋白質としての食料。重くてすべては持ちきれないだろうが、ほぼすべてを置いていくという判断はありえないのではないか。
 火で調理をしない点については、煙で見つかることを恐れたと考えれば納得できるが。

 馬で追いかけるピクト人から走って逃げる兵士達。馬から徒歩で逃げられると考えている様子。
 馬で追いかけるピクト人に間近まで迫られるシーン、斥候ふたりが伏せて偵察している。ピクト人は一度は通りすぎるものの、エテインという女が何かに気づいて戻ってくる。なぜ気づかれたのかといぶかしがる兵士に向かって、百人隊長が自信満々に言う。
 「狩人なら簡単さ。あっちは風下だ」
 それがわかっているのなら、なぜ最初から風下に逃げないのだろうか。山で急に風の流れが変わった…のだろう、きっと。

 その直後、ピクト人に追いつかれて仲間の一人が命を落とし、一人が重症を負う。そこで笑いながら百人隊長は言う。
「何としても生き抜くんだ」
 こんな状況になったのは、間違いなく司令官の百人隊長の数々の判断ミスが原因である。最初から逃げていればもっと楽に逃げられたはずだ。


■いきなりのラブロマンス展開

 途中で見つけた小屋で、誰も居ないのに焚き火が燃えている。木造の住宅内で火を燃やしたまま留守にするなんて、危なすぎる。それがどれだけ危険なことか…。

 兵士達は小屋の持ち主の若い女と出会う。で、あっという間に仲良くなるのだ。女は襲われもしないし、脅されもしないし、強奪もしないしされない。
 頭の中がお花畑でできている百人隊長は、ついさっきピクト人の女に殺されかけたばかりというのに、このピクト人の女を最初から信用してかかっている。なんとも都合のいい流れである。

 百歩譲ってこの兵士達が紳士だったとしよう。だが、女性側が打ち解けるのは絶対にありえない。女性が襲われるのを見たいというわけではなくて、女性の裸が見たいかどうかでいえば見たいけれどもそういう話ではなくて、この時代の状況ならそれが当たり前だろう、ということだ。

 紀元前752-753年のローマ王ロムルス(ロームルス)によるサビニ人女性強奪はよく知られている。どういうものかというと、女が足りないからと、近隣国から女性を奪ってきたのである。このエピソード自体には創作が混じっているとしても、似たような事実はいくらでもあったと考えるのが妥当である。女性は戦闘における戦利品と考えられていたため、当時としては当たり前だった。
サビニの女たちの略奪 - Wikipedia

 この例が古過ぎるとするならば、1527年の神聖ローマ皇帝軍におけるローマ略奪(サッコ・ディ・ローマ:ローマ劫略/ローマ劫掠などとも表記される)を例にあげよう。
ローマ略奪 - Wikipedia

 センチュリオンの時代設定は西暦117年だが、この時代の女性は「人」ではなく、「物」として扱われたということが先の例からもわかるはず。そのため、領地を勝ち取ればそこに住む女性は襲われるし、行軍中に出くわせば食料とともに奪われる。
 このセンチュリオンでは、逃走の中で明日をも知れぬ命の兵士達の話だ。やけになった兵士達が、たまたま出くわした美女に襲いかかったとしても不思議ではない。
 近年においてもなお、カトリックの聖職者による少年少女への性的虐待が珍しくないのだ。いわんやこの時代の兵士においてをや。
カトリック (少年 OR 少女) 性的虐待 - Google 検索
強姦の歴史 - Wikipedia
強姦の歴史 - Amazon

 そんな時代に生まれ育った若い女性が、素性も知れない兵士達と打ち解けるだろうか。
 襲われる危険を感じつつ、食料や医療品を渡す、という程度ならあるかもしれない。だが、家に招き入れて食事を振る舞い、なおかつ泊めてくれるだろうか。

 さて、その小屋に兵士達を追うピクト人のエテイン一行がやってくる。急なことなので小屋の食料貯蔵庫に隠れる兵士。足跡や食事の跡、臭いなど、様々な痕跡が残っているはずである。それらにまったく気づかない凄腕の狩人達。優れた狩人は、小さな動物の足跡や地面の状態、草の分け目などに残る痕跡を見逃さないというけれども。

 何とか追手から隠れることができた第9軍団ヒスパナの生き残りは、もう一晩匿われることになる。見つめ合う二人。
百人隊長「彼女は天使か?」

 このラブロマンス要素、いる?


■唐突な戦闘シーン

 森の女に聞いた、味方の砦に辿り着くももぬけの殻。急に好戦的になる百人隊長。
「逃げるのはうんざりだ!」

 騎馬隊へ応戦するのなら森の中などもっと都合のいい場所があったし、人数が減る前のほうがずっとよかっただろう。たった3人で、弓で装備した騎馬隊相手に、平地の砦で防衛戦とは無謀過ぎる。
 しかも自ら砦に油を撒き火をつけるという謎の行動をする百人隊長。木材などの燃えやすい材質で作られた砦を火攻めするのは基本中の基本なのだが、それを自分達で行っているのである。
 こっそり潜んでいれば不意打ちできたかもしれないのに、自ら「ここにいます!」と手を挙げたようなものだ。しかし追手のほうも、それに輪をかけて無能なので大丈夫なのであった。

 唐突だが、ここで物語冒頭の百人隊長の独白を紹介する。
 「――ピクト人は自分たちに不利な戦いは決してしない。こちらの弱点を狙い、じわじわと追い込む。獣のように影に潜み、不意打ちを食らわせ、闇の中に消えていく――」

 砦が燃え落ちるか第9軍団が蒸し焼きになるのを待てばいいだけなのに、特攻しては次々とやられまくる追手のピクト人達。
 女が男に対して白兵戦を行うのは体力面で圧倒的に不利である。なのに、「神技の弓」もろくに使わず馬から降りて向かっていく。騎馬のくせに歩兵に対する騎兵の有利さも知らないのだろうか。

 圧倒的な機動力を持ち、相手と距離を取りながら一方的に攻撃できる馬上弓兵(弓騎兵/騎馬弓兵とも)は、歩兵の天敵である。歩兵側からすると、馬上弓兵に勝てる要素は何一つない。しかし、ピクト人達はそれをしない。なんとフェアなのだろうか。馬から降りて、正面切って堂々と白兵戦を挑んできてくれるのだ。
 ゲームキャラ設定でありがちな、「女のほうが身のこなしが素早くて有利」としよう。それならば、なぜ取っ組み合いをするのだろう。
 戦闘の何よりの鉄則。それは、『相手の不利な部分を攻め、自分達の有利な部分を活かすこと』だ。それなのに…。

 「ピクト人は…自分たちに不利な戦いは…絶対に……しない………」

 まさかである。冒頭の台詞がこんなところで活かされるとは。伏線を使った高度なギャグだ。この映画を二度目に観たときに気づくことができた。

 こうして先祖代々の土地を奪われ母や姉妹を陵辱され家族を殺された哀れなピクト人達は、恨みをはらすこともできずに返り討ちにあってしまうのであった。


■はぐれた兵士との再開と、戦いの大義

 逃走中にはぐれた兵士と再開。この兵士は、なぜか悪役として描かれている。

 この兵士が、主人公の百人隊長クイントゥス・ディアスから「子供を殺したのか」と批難される場面がある。現代人の思考に照らし合わせると、異論はない。だが、百人隊長は考えてみるべきだ。そもそもの発端はローマ帝国のブリタンニア征服戦争に始まったのではなかったか。

紀元43年に属州ブリタンニアが誕生した。占領当時はカムロドゥヌム(後に植民市化)を中心とする南東部一帯のみを支配下に置いていたが、その後ローマは北部、西部、南西部の各方面に軍を展開、抵抗する部族を平定し、着実に領土を増やしていった。

属州ブリタンニアの統治は、基本的に圧倒的な軍事力による武断統治である。総督には代々軍団長やそれに準じる経験を持つ者が就任し、前述のカムロドゥヌムは退役兵に住まわせるための植民市とした。

ブリタンニア - Wikipedia


 この地には元々いくつかの部族があり、それぞれの王族があり、それぞれに土地を治めていた。彼ら部族の悲劇を、歴史家のタキトゥスやカッシウス・ディオが記録している。

 イケニ族の王であるプラスタグスは、ローマ帝国と同盟を結んで王国として独立していた。だが、彼の死後、同盟は一方的に破棄され、王位継承権を持つ二人の娘は辱められ、その妻であるブーディカは動物のように鞭打たれたとされている。
 その後娘達の行方は杳として知れず、ブーディカは女王として近隣諸族をまとめ上げ、ローマ帝国軍に対して反乱を起こすも、先に述べたワトリング街道の戦いにて敗戦。そののちに病死または服毒死したという。
 同盟は破棄され、自分達の王族を虚仮にされ、土地も財産も女もすべて奪われたのだ。彼らの憤りは推して知るべしといえよう。
 映画に出てくる怒りに燃えるピクト人女性エテインは、この出来事を元にした設定だと思われる。

 同盟を結んでいた部族でさえこんな仕打ちを受けている。他の近隣部族がどんな目に遭ったのかは、想像に難くない。

 平和に暮らしているピクト人の領土を征服しに行き、戦闘員だけではなく女子供を好き放題にしているのは、当のローマ軍だ。大義など最初からない。百人隊長はどの口で「子供を殺したのか」などと批難するのか。薄っぺらいヒューマニズムにしか思えない。

 とはいえ、歴史は非情だ。勝てば官軍負ければ賊軍。勝者の歴史は正当化され、敗者は忘れられるのが常だ。
 センチュリオンの都合のいいストーリーもその表れと見れば、勝者のナルシシズムを理解する一端とはなるかもしれない。

 また、百人隊長は、自分達がピクト人から執拗に追われるのは兵士が子供を殺したからだと考えているが、それは間違いだ。
 そもそも兵士達は、生き残った数名だけではどうにもならないと撤退したがっていた。その意見を押し殺して強引に将軍の救出に向かったのは百人隊長である。子供を殺したのは、その救出の途中で敵に追われて隠れたところ、子供が騒いだためだった。子供を殺さなければ、その兵士だけではなく隠れていた第9軍団は全滅していただろう。結局、無茶な救出作戦は順当に失敗し、完全な無駄骨に終わる。本当にその兵士だけが悪いのか?

 こんな場面もあった。
 逃走中に百人隊長とはぐれた際に、狼に襲われたこの兵士は、共に逃げていた兵士の足を切って囮にし、自分だけが生き延びている。

 (この兵士に向かってではないが)百人隊長は言っている。
「何としても生き抜くんだ」

 このままだと、狼に襲われ二人共死ぬ。どちらかが囮になれば片方は生き延びるという場面だ。
 決して褒められる所行ではないが、自分の命がかかっている。逃走中とはいえ、平時ではなく戦時下のことでもある。この兵士は「何としても生き抜」いたとは言えないだろうか。
 綺麗事ばかり言う百人隊長より、この兵士タークスのほうがずっと人間臭く、キャラクターとしての魅力を感じた。


■消化不良感の残るラスト

 ほうほうの体で味方軍が駐留する長城へとたどり着いた第9軍団ヒスパナの生き残り達。この長城はハドリアヌスの長城だと思われる。
ハドリアヌスの長城 - Wikipedia

 その長城前で、先の子供を殺した兵士と百人隊長が争い始める。
百人隊長「お前のせいで大勢の仲間が犠牲になった」

 むしろこの兵士は、将軍奪還作戦のときに窮地の第9軍団ヒスパナ壊滅の危機を救ったという事実があるのだが、その功績は一切無視されているようだ。そして、生き延びた兵士達が犠牲になったのは、百人隊長の無茶な作戦のためだと思われるのだが、自分の責任は感じていない様子。

 かくして、気に食わない兵士を殺してご満悦の百人隊長。
 もう一人の生き残りの兵士は、城門の見張りに蛮族と見間違えられて無駄死に。たとえ蛮族の姿であろうと、単騎兵は使者/使節扱いされるため、よほどの非常事態でもない限りは問いかけもなくいきなり攻撃されることは考えにくい。しかし、あっさりと射殺されてしまう。
 諜報や斥候任務の兵士ならば、蛮族の変装は当たり前だ。たとえ敵だったとしても、長城に対して単騎では何もできない。殺される理由はまったく見当たらない。
 味方兵士が殺された直後、弁解も何も言わず歩み寄る百人隊長。不思議なことに、殺された兵士と似たような格好をした百人隊長が攻撃されることはないのであった。観ているこちらの頭は???でいっぱいだ。

 無謀な作戦で第9軍団ヒスパナ全員を無駄死にさせた百人隊長は、こうしてようやく一息つく。しかしそれも束の間、蛮族にボコられるような軟弱な隊はローマ軍の恥ということで粛清の命令が。ワインに毒でも仕込めば穏便に済んだものを、わざわざ駐留する兵士が襲い掛かる。百人隊長はそれを撃退し、無抵抗な女を殴り倒して悠々と引き上げる。これだけの騒ぎでも誰も駆けつけないザルのような警備をすり抜けて逃げ出すのであった。
 見事生き残った百人隊長は森の小屋まで逃げのび、森の女と共に幸せに暮らしましたとさ。ちゃんちゃん。


■よかった点と総評

 最後に数少ないよかった点を書く。
 戦闘シーンの凄惨さ。腕が飛んだり、取っ組み合いで相手の眼に矢をねじ込んだりする場面をきっちりと表現してある。「戦いは綺麗事では済まず、痛くて悲惨だ」と感じることができる。
 また、逃走中の山岳地帯や草原、山並みなどの風景はいい感じ。それらの点はよかった。

 監督のニール・マーシャルは、イングランドのニューカッスル生まれ。彼は自分の生まれ育ったブリテン島の歴史から思うところがあったのだろう。
 だとしても、こんな内容ではどちら側にも感情移入できないし、あえてそのような作りにしてフラットな歴史物を目指したとしても、荒唐無稽すぎてしらけてしまう。

 先に述べたように、ローマ軍よる征服戦争なのだから第9軍団を応援する気にはならないし、どちらかといえば戦いの大義名分はピクト人にあるのだが、明らかに敵として描かれているのでこちらにも感情移入できない。かといって、歴史の記録として観るにはお粗末過ぎる。

 一度目に見たときは、あまりの内容の浅さに怒りさえ覚えた。それで、勢いに任せたままこのエントリーを書いたのだが、書きながらもう一度見返すと、それらがすべてギャグに思えてきた。
 この映画は歴史ファンタジーコメディーだったんだ!


 センチュリオンに対して、だいぶ否定的なレビューとなったが、この映画や監督に対して恨みがあるわけではない。
 映画は、それを観ている間だけはすべてを忘れる魔法であってほしいと思う。ジェットコースターのような爽快感でもいいし、観覧車のように未知の風景でもいいし、メリーゴーラウンドのように楽しいものでもいい。何らかの教訓が得られることもあるが、それは副次的でしかない。観る側がそれぞれ勝手に思うことだ。
 それより何より、まずは没入させて欲しい。この映画の世界にぐいっと引っ張りこんでほしい。この手の映画なら血沸き肉踊らせてほしい。
 それができなかった、ということだ。


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センチュリオンの評価欄で比較されていた作品。センチュリオンは、この300に対抗して作られたとのこと。
こちらのほうがおもしろいようなので、次はこちらを観る予定。
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最近自分がアスペルガー症候群(AS)の特性が強いことがわかりました。

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